親のことばは魔法であり呪いだ
いきなり「こっわー」ですね。
わたしも現在子育て真っ最中ですが、こんなこと言われたら
ただでさえ責任感で押しつぶされそうなのに、どうして追い詰めることを
いうんだ、って思います。
これは、大人になって子育てをしてやっと気が付いた、大人のおはなしです。
わたし、絵を描くのが得意ではありません。
絵を描ける人へのあこがれはいつももっていましたし、
大学卒業後の就職でも、希望して印刷会社に就職し、人よりデザインに近いところで
過ごしてきました。それでも、「わたしには描けない」そう思っていました。
その後、子どもができ、遊びのひとつとして、お絵描きをはじめたときに
気が付いたんです。
「あ、わたし絵を描くのが好きだ」
なのに、どうして、描けないと思い込んでいたのか。
ときは私が小学生だったときにさかのぼります。
学校の授業で板を彫って、壁掛け時計を作りました。わたしは宇宙をテーマにつくりました。
「惑星は丸いから、もっと立体的に見せたい」そう思って、一生懸命ほりすすめていくと、
板は貫通し、穴が開いてしまいました。
穴が開いてしまって怖くなった私は、本当はまだ彫ろうと思っていた個所が残っていましたが、
彫らずに、色を塗りました。
完成した時計は、作品展で全員分学内に展示され、母も見に来てくれました。
帰ってきて母は、冗談を言うように言いました。
「わたしの娘のはコレです、て恥ずかしくて一緒に行ったお友達にいえなかったわ」
わたしは「そっかー」とたいしたことでもないようにその話を聞き、
後日時計が返却されると、すぐに自分の部屋のクローゼットの中にその時計を
投げ込んで隠しました。
そう、わたしは、親から「不器用」というレッテルを貼られて生きてきました。
それ以来、わたしの思いは「絵」では表現できなくなってしまいました。
(「絵」以外に表現をもっていたので、私はグレずに済んだと思っていますが、それはまた今度・・)
私が、本当は絵が好きだったことは、就職先で印刷会社を選んでいたことで
今思えばわかるのですが、本当の意味で気が付いたのは30歳を越えてからでした。
実は呪いをかけられていたのだと。
一方で、小さなとき、マンションのベランダに鳩がやってくると、
私は母や姉に頼りにされ、「おねがい、追い払ってきて!」と頼まれ、
どきどきとしながら、棒をもってベランダへ行き、鳩に威嚇し、追い払っていました。
「ありがとう、たすかった」そう言われて、
その時の気持ちはまるで勇者にでもなったかのようでした。
また小学校低学年の時には「あなたのいれるお茶がおいしいんだよなー」と言われ、
何度も茶葉を急須にいれ、お湯をいれ、家族のためにお茶をいれました。
茶葉をいれるときに、おいしくなるおまじないを考えて、唱えながら
ゆっくりと急須に茶葉をいれ、お茶を入れていました。
その時の気持ちはまるで魔法使いにでもなったかのようでした。
今思えば、本当にささいなエピソードですが、当時のわたしは全身でうけとめ
感じていました。母にほめられるのがなによりもうれしくて。
- 親のことばは呪いであり魔法だ
このことに気が付いたとき、私の目の前には小さな我が息子がいました。
私はこの子にどんな魔法をかけているのだろうか。
良くも悪くも、自分の言葉が、相手を大きく左右してしまう、ということを
大人になってはじめて、私は知ってしまいました。
というより、大人になるまで、何の疑いもなく、親の言葉は私の無意識の中にいたのです
せっかくなら、うれしくなるような魔法を息子にかけて、それが息子がおおきくなったあとも支えになるようなそんな言葉を息子にあげたいな、と
いま1人の大人として、そう思うのです。
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